前号の介護記事でご登場いただいた長内美紀さんからのリレー記事、今回は訪問診療で信頼を集める網走歯科クリニックの早川先生にお話を伺いました。
民間の会社から道庁の公務員へと転職、歯科大学を経て40歳で起業という異色の経歴をお持ちの早川先生。
開業の地を網走に決めたのは、公務員時代に住んだこの土地の人のつながりや、思いを「聞いてくれる」あたたかさ、“住んでいる人の顔が見える”町の規模が事業を始めるときにちょうど良いこと。可能性にあふれていたことが理由だそうです。
【医療難民を救いたいという思い】
「医療難民を救いたい」という思いから、清水の舞台から飛び込む気持ちで開業を決意。医院としての拠点を持たない訪問診療一本のスタイルでスタートしたため、当初は「本当に大丈夫?」という声も少なくありませんでした。ところがふたを開けてみると、心配とは裏腹に、認知症や障害を持った方など、椅子に座っての治療が難しく在宅治療を必要とする方たちとの出会いがたくさんありました。ご本人やご家族・介護業界の方たちからの強力な信頼を得て、「つながりに生かされている」という言葉通り、日々引っ張りだこな生活を送られています。
【できない理由ではなく、どうやったらできるか】
早川先生が仕事の中で大事にされていることは、工夫する心。
これまで「治療台に乗ることができる人が対象者」という歯科医療の暗黙の了解がありました。実際に自宅で治療を必要とする人がいても、機材を持ち運ぶことが難しいなど、“できない理由”が数多くありました。しかし、先生はそこで発想の転換をしました。「どうやったらできるか」をとことん考え抜いたのです。できない理由を挙げるのではなく、患者さんを見捨てずに、持ち運びが可能な機材をすべて揃え、出来る方法をとことん考えました。そういった姿勢が深い信頼となり、「自分も診てほしい」という声が相次ぐようになって、医院を構えるに至ったとのこと。
忙しい毎日ではありますが、歯科医を続けることに対して、「医療難民の人たちをいかに助けていけるかが課題であり、自分がつぶれている場合ではない」とお仕事への情熱を語ってくださりました。
「困っているからこそ、電話を掛けてくる。24時間、患者さんからの電話は全て取る」と決めているとのこと。時間に関係なく、常に自分の時間は後回し。全力で患者さんに寄り添う姿勢に頭が下がります。
このように先生を突き動かす源は何でしょうか?
【情熱は、患者さんを思う気持ち】
堀江貴文さんの本を読み、「いい学校・大きい会社に入ったとしても、今の時代いつ会社がつぶれるか、わからない。人に左右されるのではなく、自分で自分の人生を決めていける生き方がしたい」と強く感じたことが、きっかけだそう。
研修医時代は「早く一人前になって起業したい」という思いに突き動かされるように、スキルアップにひたすら励み、独立してからは「人の話に耳を傾けると、本当のニーズ=患者さんの願いが見えてくる。他の人がやらない差別化によって、網走の町に新たな風を起こしていけるのではないか」と感じ、訪問診療というニッチな領域において、患者さん目線で努力を重ねたことが今日のお仕事につながっています。
先生のモットーは「生き残るには、気遣いの塊だ」。入れ歯を作ったらケースが必要になる。男性には青、女性には赤を用意し、テプラで名前を張ってあげると施設も家族も喜ぶ。
~こういった細やかな気遣いが、関わる様々な人の心を掴み、結果的に“オンリーワン”の存在になっていったのでしょう。
【こだわり・創作意欲から、スポーツ用マウスガードを制作!】
先生の工夫と改善の姿勢は、趣味であるボクシングにも生かされています。
マウスガードとは、外から加わる力に対して口の中や顎を保護する目的で作られた口の中の保護装置で、歯ぎしりや食いしばりの症状改善にも使われます。
ご自身が修練を重ねる中で、スポーツ用のマウスガードが有効であることに気が付き、ボクシングに特化したものを制作・提案し、ご自身も愛用されているとのことです。興味のある方は、お問い合わせをしてみてくださいね。
またご自身の体験から、可能性あふれる若い人・前進しようとする農大生を応援したいという思いが強くあるとのこと。諦めではなくチャレンジを。努力の分だけ道は開けるということを、どんどん伝えていきたいとおっしゃっていました。
【介護と医療の課題、未来への架け橋を】
医療との連携を求める声を介護現場から耳にし、自らが仲介役となって他の医療機関へ働き掛けを行ったことで、お互いに情報を流し合う協力体制も生まれてきたそうです。とはいえ、すべての医療連携がなされているかというと、そうではないのが現状。これからはさらに細やかな配慮と連携が充実した街づくりへ向けて、網走で知り合えた人たちと一緒に、イノベーションを起こしていきたいと語ってくださいました。
またご自身の体験から、可能性あふれる若い人・前進しようとする農大生を応援したいという思いが強くあるとのこと。諦めではなくチャレンジを。努力の分だけ道は開けるということを、どんどん伝えていきたいとおっしゃっていました。
~取材を終えて~
じつは私は、今回のインタビューで初めて「医療難民」という概念を知りました。
私たちの暮らしは多様性で成り立っていること、そこには様々な形でのかかわりや、力の活かし方があることを考えるきっかけとなりました。
「いつものあたりまえ」から「気づき・課題」に目を向けて、輝く大人が手をつなぎ、より一層、網走の未来を輝かせていきたいですね。
[インタビュー・記事:LOVEあばしり実行委員会 松原美里]
<プロフィール>
網走歯科クリニック 早川 誠(はやかわ まこと)
帯広柏葉高校卒業後、四年制大学水産学部へ入学。民間企業の開発室に研究員として1年勤務。その後、北海道庁の職員として10年勤務した後、広島大学歯学部へ入学。研修医・勤務医を経て、平成24年10月に網走歯科クリニックを開業。現在に至る。
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